先日、快晴時に俵ヶ浦半島にある佐世保要塞を見学
家内には「俵ヶ浦半島の佐世保要塞に行くから・・・」「もし、遭難したらその辺探して・・・」「ハァ~!」
と・・・家出(笑)
目的地には駐車場はなく地元民優先道路は進入禁止 <トホホ。。。>
地元の方の墓地(佐野姓・湯浅姓等)に駐車(1台分)
道幅が狭く軽自動車がやっと・・・木々が生茂って光を遮断され暗く・・・路面は濡れ落葉がたくさん・・・の
小さな案内板を頼りに・・・徒歩20分ほどで到着 <イノシシが出没してもおかしくない>
脚立のような急こう配の狭い15段ほどの石段 <手すり無では無理なような>
UFOみたいな形状で鉄製の要塞
中は10人ほど入ればイッパイ満員御礼
どうやって敵機を攻撃するのだろう・・・と?
九十九島の遠景はグリーンとブルーで綺麗
帰りは佐世保唯一ビーチ白浜海水浴場に久しぶりに立寄り<米軍関係の外人さんで賑わっていました>
*解説
明治22年(1889)佐世保鎮守府が開かれ、海軍の根拠地としての佐世保軍港が築造されました。それに伴い、艦隊の根拠地である佐世保軍港の安全を確保するため、「佐世保要塞」が計画され、1897(明治30)年から佐世保湾周辺にその築造が開始されました。陸軍の砲台群が佐世保港を取り巻くように造られ1901(明治34)年頃までに、佐世保湾口北側(高後崎、小首、丸出山)、佐世保湾口南側(面高堡塁、石原岳)、佐世保市北側・西側(牽牛崎、前岳)の砲台・堡塁が造られました。日露戦争で佐世保要塞も、動員令は発令されましたが、一弾も発射することなく終戦を迎えました。現在は砲台跡として、佐世保の展望所の一つとなっております。